聖のこと

 

とうとう、聖担になって10年が過ぎた。


わたしの聖担の歴史の始まりは、忘れもしない海賊帆のオーバーチュアだった。
きっかけは赤西担の友人。肝心の赤西が出てくる前に、コロッと聖に持って行かれた。
ペンライトの光る大海原に浮かぶ一隻の海賊船。船首にヤンキー座りをして、「声出せねーなら、命はねぇからなァ!」と叫ぶ黒髪金メッシュのこわいお兄さんを見たとき、雷が落ちる音がした。
 
わたしは何十人といるジャニーズの中から、KAT-TUNというグループの中から、「田中聖」を選んだ。
父には「物好きだなぁ〜」と言われた。確かに世の中の人気は圧倒的に仁亀(赤亀)だった。
それでもわたしはこの人がいい、と思った。
 
しばらくして、海賊帆のDVDが家にやってきた。
今みたいに見られるDVDが何本もあったわけじゃなかったから、本当に擦り切れるほど見た。セットリスト、メンバーの台詞もそらで言えるほどになった。海賊帆は青春の代名詞だった。
コンサートや音楽番組で、鉄パイプを振り回す自担を見てうっとりした。自分のホームページに「田中聖×鉄パイプ同盟」なんていう同盟バナーを貼って、ますます不健全なジャニヲタ生活を送っていた。
 
ラップをする聖が好きだった。ガラの悪い聖が好きだった。「ピアス、タトゥー、スキンヘッドだって正常」なジャニーズらしからぬ聖が好きだった。それでいて情に熱くて、動物が好きで、笑顔が可愛いところもまた愛おしくてしょうがなかった。
 
一方で、彼女とのプリクラや写真、トイレでタバコを咥えている写真、ファンと撮った写真、他のメンバーに比べても明らかに彼だけ、プライベートの写真が本当にたくさん出回っていた。悪い噂も耳に入った。デビューが遅れているのは聖のせいだとか、いろいろ言われていた。手首にタトゥーを入れたことを知ってからは、テレビや雑誌でリストバンドをつけているのを見るたびに心臓がギュッとなった。ジャニーズらしからぬ聖のことは好きだったけど、聖が悪く言われることで傷つくこともあった。
 
デビュー後も、KAT-TUNはよく週刊誌にお世話になった。連載を持っていると言われるほどだった。聖の熱愛報道も途切れることはなかった。
週刊誌がやり方を変えてきたのは、2008年頃だったと思う。今までの熱愛報道とは打って変わって、元カノの自殺未遂騒動、AV女優との交際、渋谷でイベントに参加する聖の写真、ニューハーフによる生々しい暴露…なんだか毛色の違う噂がどんどん流れ込んできた。翌年には、全裸でギターを弾く写真や、お尻や唇の裏側に入れたタトゥーの写真も流出した。
さすがの私も、この時ばかりは自担の交友関係が少し心配になった。聖にだけ仕事がなくて、「あれ?いま干されてるな?」って思う時期も何度かあった。
 
それでも、彼が仕事の手を抜くことはなかった。「初めまして腐ったマスメディアたち」と「ダサい大人」たちを挑発しながらも、与えられた仕事は完璧にこなした。演技の幅も広がり、ラップの技術も年々上がっていった。相変わらず週刊誌にはなんやかんやといろいろ言われていたけれど、プライベートでは黙って慈善活動を続けていた。「KAT-TUN田中聖」はブレることがなくて、こんなジャニーズは今までもこれからも田中聖しかいない、と誇らしく思っていた。
 
そんなとき、赤西がKAT-TUNを脱退した。聖と赤西はお互いにリスペクトしあえる存在だと思っていたから、聖の気持ちを考えるとなおさらショックだった。脱退の少し前、聖は赤西にジャニーズwebで次のようなメッセージを送っていた。
but I trust you that you're good at singing. Do you remember when we sang the song “GARASU NO SHONEN” at karaoke? That was the most embarrassed moment of all since I started working. Nobody knows if you have the effort of continuing this industry or not but I trust you. I hope our style would be accepted someday. You are my special one JIN, where I could talk about something deep and serious. I'm not gonna stop from the way it is.
でも、お前の歌はマジですげーって確信してる。カラオケで二人で「硝子の少年」を歌ったの覚えてる?あれは、この仕事を始めて以来一番恥ずかしかった瞬間だった。お前がこれから先、この業界でずっとやっていくかどうかなんて誰にも分からないけど、でも、俺はお前を信じてるよ。いつか、俺らのスタイルが受け入れられるといいな。仁、お前は俺にとって、深い話とか、マジメな話もできる、特別な存在だよ。これからもずっと、この関係は変わらないからな。(日本語は筆者による意訳です)
聖にとって赤西は、ジャニーズの壁をガリガリ削っていく同志のような存在だったのではないかと思う。
わたしはこのとき、赤西のスタイルが事務所に受け入れられることはなかったんだ、と落胆した。
 
赤西が抜けたあとも、聖は自分のスタイルを貫くように、「KAT-TUN田中聖」らしく居続けた。田口と中丸と作った楽曲「GIRLS」を聴いて、こんなラップも出来るようになったんだ、と感動した。「Going!」「WHITE」…どんなにポップな曲でも、聖のラップと中丸のHBBが加われば、その楽曲はKAT-TUNらしさを保ち続けた。
 
2011年、転機は訪れた。東北で大きな地震が起きた。コンビナートライブ、5大ドームは中止になった。聖は事務所に何も言わず、自分の車に物資を積んで被災地に駆けつけていた。きっと事務所のえらい人にはあとで怒られたんだろうけど、ネットでは賞賛の嵐だった。後先考えず無鉄砲なところとか、誰かを大切にする心とか、本当に聖は聖だなあと嬉しく思った。
 
少なくとも、赤西の脱退と、そしてこの震災が、聖の何かを変えた。
 
翌年のライブツアー「CHAIN」で、聖は終始笑顔でファンに手を振っていた。初めて見る姿だった。最後の挨拶でもずいぶん長く話していて、珍しいなと思った。
同じ頃、Myojoの1万字インタビューで、「最近、アイドルが天職だと思えるようになった」と話していた。アイドルと思われることが嫌だった聖が、可愛いと言われることを避けて髭を生やしていた聖が。もう年齢的にもいい大人だし、それが正しかったんだろうけど、自分の好きな聖ではなくなってしまったみたいで、わたしは少し不満だった。その前の年に、中丸がラジオで、聖と田口の絡みを「狙ってやっている」と言わんばかりに指摘していたことを思い出した。そうだ、メンバーと仲良しこよしな聖なんてわたしの思っている聖とは違う。もっと自然な姿が見たいし、いつもみたいに、客席にガンを飛ばす聖が、「声足りねーよ!」と煽る聖が見たかった、なんて思っていた。
 
ちょうどその頃、「RUN FOR YOU」「BIRTH」「TO THE LIMIT」…と、ラップがない曲のリリースが続いていた。聖はラップしたいと思わないのかな、もうそういう路線は卒業してしまうのかな、なんてぼんやり考えていた。アクセサリーをジャラジャラつけて、爪にマニキュアを塗っていたお洒落な男の子が、だんだん無個性になっていった。眉毛も柔らかく整え、歯もホワイトニングし、金髪で短髪だった髪型も、いつしか黒髪の長髪になっていた。自分の理想の「田中聖」像と、実際の「田中聖」のギャップに戸惑っていたし、本人がやりたいことが出来ているのかが一番心配だった。
 
そんなときにリリースされた「不滅のスクラム」は、久しぶりにKAT-TUNらしい楽曲だと感じた。田口の振付はもちろん、中丸のHBBに合わせた聖のラップが入っていたのである。間違いなくその部分が曲の中で一番スリリングでKAT-TUNらしかった。やっぱりこれがなきゃ、と思った。
けれども、結果から言えば、次にリリースされた「EXPOSE」にも、「FACE to Face」にも、ラップは入っていなかった。わたしの大好きだった聖のラップは、「BOUNCE GIRL」で聞き納めとなった。
 
一方で、聖の演技の幅はますます広がっていった。ドラマ「大奥」では玉栄を見事に演じきった。いろんな人が聖の演技を見てくれるのが嬉しくて、ツイッターで毎日のように視聴者の感想をエゴサしては読み漁った。映画「サンブンノイチ」からもオファーが来た。アイドルらしからぬ聖が、どんどんアイドルらしくなっていくことに対する違和感以外は、全てが順調だと思っていた。
 
2013年に入ってすぐ、聖の兄弟がBARを経営していて、聖もそこに顔を出しているという記事が出た。久しぶりの週刊誌で、なんだかドキドキした。聖のプライベートがちょっと気になって、3年ぶりくらいに掲示板やらなんやらを見に行った。相変わらず聖のプライベートはアイドルらしからぬもので、言い方は変だが、わたしの好きな聖は何も変わっていないんだとホッとした。
一ヶ月後、BARが閉店したという情報が流れた。偉い人に怒られたのかな、とちょっぴり心配した。板野友美との熱愛報道も出た。これはないな、と思った。
 
ちょうど、今くらいの季節だったと思う。ツアー日程が発表された。そして、すぐに消えた。もしかしたら聖のせい?と、1月に出た週刊誌の記事が頭をよぎった。でも、そんな、まさかね。家族がBARを開いたからって、一度決まったツアーがなくなるなんてことありえないよ。もう閉店してるんだし。と自分に言い聞かせた。相変わらず聖が、「楽しみにしていてほしい」とジャニーズwebでツアーか何かを匂わせていたのに、次第にグループでの仕事が減っていった。
 
楽しみにしていた、毎年恒例の「必殺仕事人」。聖の演じる匳は物語の冒頭で辻斬りにあい、出番は本当に少しだけだった。3人で回していたはずのラジオ「KAT-TUNのがつーん」にも呼ばれなくなり、不定期で出演していた「アカン警察」にも出なくなった。明らかに、自担が何かやらかしていると分かる展開だった。
さすがにいろいろ調べて、BARを開いた場所がマズかったとか、何か流出してヤバイことになってるってことは分かった。ツイッターで目情を調べても、「電車に乗っている田中聖を見たけど、疲れた表情をしていた」とか、なんか心配になる情報しか得られなかった。気分転換にアップされたソリオのCMメイキングを見たら、聖が一瞬とてつもなく思いつめたような表情をしていた。こんな顔見たことない、と不安が不安を煽った。
 
そんな日々が長く続くと、いつものことだ、時が過ぎるのを待つしかない(KAT-TUN担は、待つのは慣れている)、と思うしかなかった。配信限定の「BOUNCE GIRL」を聴きながら、ラップ最高だな〜、とりあえず早く干され期間終わんないかな〜と呑気に思っていたら、夏が終わってしまった。音楽番組で過去映像をバックに階段を下りてくるKAT-TUNを思い出しながら、毎日を乗り越えた。あれが最後の5人の「Real Face」になってしまうとは、このときはまだ思ってもみなかった。
 
秋、中丸のドラマ出演が決まった。ポスターには「主題歌 KAT-TUN」の文字。これでKAT-TUN、いや、聖の干され期間も終了だと安堵した。それにしてもツアーがなくなるほどのことって、一体何をしてしまったんだろうと、不安は拭いきれなかった。
 
10月の始め、ついに、例の写真が週刊誌に載った。夏頃、某掲示板に「あの写真を持っているのは私だ、お前には十分時間を与えたはずだからな」なんていう脅迫めいた書き込みがあったことを思い出した。マジかー、写真ってこれのことかあ、と思った。ていうかシリコンボール本当だったんだね、と笑えるくらい余裕だった。この写真のせいでツアー中止なら本当にどうしようもないなって思っていながらも、まあこれで一件落着くらいに感じていた。
 
 
 
メールは突然届いた。KAT-TUN伝言板臨時号。
手が冷たくなった。なんで、どうして、それしか出てこなかった。
とにかく、ラップもコンサートも奪って、あんたたちが聖をこんな風にさせたんだ!あんまりだ!と事務所に怒りをぶつけることしか出来なかった。赤西が抜けて、聖だってものすごくショックだったはずなのに、この3年間マジメに頑張ってきたじゃない。悪い噂も聞かなくなったし、週刊誌にも一度も載らなかった。自分のやりたいことよりも、一番に「ファンのため」を考えるようになった。それなのにこんな仕打ちは無いでしょう!と。
今思えば、聖にだって非はあったのだと思う。好きになったときは10代だった聖も、気がつけば30歳を手前にしたもういい大人だった。
それでも、赤西がKAT-TUNを抜けたあの日と同じように、
I hope our style would be accepted someday.
いつか、俺らのスタイルが受け入れられるといいな。

この一文を思い出していた。結局、彼らのスタイルが事務所に受け入れられることはなかったんだな、と、3年前と同じように落胆した。

 
・・・
 
一年後、INKTのライブに行った。そこには、「てめーら声出せんのかよ!」とお客さんに向かって叫ぶ聖の姿があった。金髪の髪をかき上げると、耳の後ろの新しいタトゥーが見えた。聖の体には胸、腕にもタトゥーが増えていたけれど、わたしはちっとも悲しくなくて、むしろ2008年の女王コンを思い出した。くしゃくしゃな笑顔も変わっていなかった。ずっとずっとわたしが見たいと思っていた聖だった。聖が解雇された時「次に会う時は、ファンに笑顔で手を振ってくれる聖じゃなくていい、ただやりたいことをやってほしい」と思っていた。だから、本当に嬉しかった。
 
家に帰って落ち着いてレポを読んだ。その日は、赤西もステージに立って歌っていた。ツイッターのTLには、聖と赤西のレポが交互に流れてきた。まだまだ彼らの理想とは程遠いかもしれないけど、「彼らのスタイル」がようやくどこかで受け入れられたんだな、と安心した。
 
きっと聖は無理してアイドルをしていたわけじゃないと思う。結果的に約束を破ることになってしまったことがあったとしても、その場その場では絶対に嘘はつかない人だから。アイドルが天職だと思ったことも本当だったし、最後の一人になってもKAT-TUNでいると思っていたその気持ちも本当だった。と信じている。本当のことは本人にしか分からないけど。
 
KAT-TUN 6人の中から聖を選んでしまったことで、とんだジャニヲタ人生になってしまったけど、後悔はしていないし、きっと聖が抜けるとわかっていても聖を好きになってしまうと思う。
 
聖担になったばっかりに、自担のいるグループを応援するという幸せを突然奪われて、除け者にされて、わたしが何をしたっていうんだ、なんて気持ちになったこともある。
聖も、聖がいた過去も大切だから、自分の大切なものを悪く言われるのは、自分を悪く言われるよりも辛かった。
赤西が、聖が、そして田口が叩かれているコミュニティに、その人のファンが居続けるのはやっぱり難しくて、つい遠ざかってしまう。いくらKAT-TUNという船が素晴らしくても、そこで応援し続けることに疲れて、この船を降りてしまおうかと思ったこともあった。
 
でもかめが最後の挨拶で、ああやって言ってくれたとき、変わらずにKAT-TUNを好きでいてよかったと思いました。
たっちゃんは、船を降りてしまったメンバーと一緒に降りてしまったファンもいるだろうと言っていたけど、まだこうしてKAT-TUNという船に乗り続けているわたしみたいな聖担、赤西担、田口担が大勢いることも、きっとわかってくれているんだろうな、と言葉の端々から感じた。
きっといろいろ思うことはあるだろうけど、かめ、たっちゃん、中丸が、抜けた3人のことを大切に思っていてくれていること、頭では分かっていたし、伝わっていた。それでも、こうして言葉にしてくれたことで、大勢の人が救われたと思う。かめが一人ずつ名前を口にしたとき、どこか後ろめたく思っていた気持ちがフッと消えて、ほんとうに何かが解けたような気持ちになった。
KAT-TUNという船は、本当に大きくて、暖かくて、素敵な船だと、改めて感じました。
 
まだ夢を見ているかのような気持ちで東京ドームを出た後、わたしはきっといつまでも、この船を降りられないんだろうな、とぼんやりした頭で思いました。
 
碇を上げるその日まで、わたしも一緒に戦い続けたいと思います。
 
I hope their style would be accepted someday!!
 
 
追記
メンバーの脱退、震災を経験して、いつしか「やりたいこと」よりも、「ファンのために」を一番に考えるようになっていったように思えたけど、それも聖のアイドルとしての精一杯の姿だったから、そんなところも好きになりたかったなあ、と過去を振り返って思いました。
どんなに週刊誌にすっぱ抜かれても、きわどい写真が出ても、聖のことを嫌いになれなかったわたしが、唯一好きになれなかったのが、アイドルらしい彼の姿でした。彼のことは好きだったけど、自分の中の何かがそれを受け入れられなかったのかもしれません。
だけど、あの時期に聖のファンになった人、聖の言葉に救われた人もたくさんいると思います。聖も「ハイフン」のこと、きっと大切に思っていました。わたしも同じように愛せていたらなあ。
 
追記2
2015年、3月にかめのラジオでコンサートについての言及がありました。「2日間のうちに、また何か発表できれば」と。そして、チケットの申込案内が届きました。「9年目のKAT-TUNは東京ドームから」の文字。
わたしたちはツアーを期待しました。でも結局、発表はありませんでした。そのコンサートは惜しまれつつも、たった2日間で幕を閉じました。
何もない夏がやってきて、DVDが発売されて、オーディオコメンタリーのすっかり痩せてしまった田口くんを見て、心がザワザワしました。
2013年を思い出さずにはいられなかった。何もなく終わってくれ、という願いとは裏腹に、ソリオの契約が終了し、たぐちゅーんが終わると分かったとき、背筋がゾッとしました。
それでも魔の10月を乗り越えたから、もう大丈夫だと思っていたのに。久しぶりのKAT-TUN、テレビ越しに赤いロングコートの4人を見ながら、手が震えました。またあのメールを受け取る日が来るとは。
今回は脱退まで長く時間を取ってくれたことで、1回目、2回目と違って、メンバーからも本人からも、いろいろな話を聞くことが出来ました。だけど、どうしても納得できなかったのは、1回目も、2回目も、そして今回も同じだった。
最後の挨拶を思い出す。「一緒に戦ってください」とたっちゃんが、かめが言うように、3人がまた集まって、KAT-TUNとして再出発するためには、わたしたちは本当に何か見えない敵と戦わなければいけないんだろうな、と思っている。