深夜のひとりごと

 

今年も一年が終わろうとしている。

わたしがブログを書かずにいた間に、聖の身にまた試練が降りかかった。今度は、大麻所持による逮捕。脱退、解雇ときて、そう来るか…。もはや現役時代に色々ありすぎて、「警察のお世話にならなければ良い」と昔から言っていたが、ついに警察のお世話になってしまった。もうステージに立つ自担の姿は見れないのかもしれないーと初めて思った。あの時(2013年契約解除時)は、きっと帰って来ると心のどこかで思っていたから。

 

捜査の結果は、証拠不十分による不起訴。本人が最後まで大麻は自分の物ではありません」と言ったんだから、それを信じようと思った。聖担の心臓には毛が生えているので、多分逮捕で降りた人は少ないのではなかろうか。むしろ、報道で聖やINKTの活動を見て好きになったという逮捕出の貴重なファンも見かけた。どうなってるんだ聖担…。それでも、聖の第二の居場所だったINKTは、惜しくも解散へ。もっと上へ行けたはずなのに、これからだったのに、と言っても仕方ないことなんだろうけど、今でも嘆いてしまう。これは憶測にすぎないが、きっと他のメンバーは続けようと言ってくれたのだろうが、他の誰でもなく聖自身がそれを許さなかったのだろうと思う…。公の場に出て来るまで、約半年。本当に長かった。KAT-TUNも充電中、自担も逮捕され、INKTは解散し、2017年下半期は何していたかあまり覚えていない…。

 

2017年12月31日、聖が公の場に帰ってくるとともに、KAT-TUNが充電期間を終了を発表し、活動を再開した。
ようやく何かとの戦いが終わった、と思った。彼らは何かからKAT-TUNを守りきったのだ。
10ksの最後の挨拶で、たっちゃんが、そしてかめが、「一緒に戦ってください」と言った。戦ってくださいって、いったい何と…?「この充電期間が、KAT-TUNを守るために必要な時間だったと思えるように」KAT-TUNを守るために…。わたしはその言葉が、心のどこかにずっと引っかかっていた。

少し話が戻る。

2016年3月31日、田口はKAT-TUNを脱退した。KAT-TUNからメンバーが抜けるのを見るのはこれで3回目。「2度あることは3度ある」「カツンのピンチは3年周期」そんな言葉が本当になってしまった。言霊はこわい。

1回目、2回目と大きく違ったのは、発表から脱退までおよそ4ヶ月の時間があったことかなと思う。脱退までの経緯(細かい部分は語られなかったけど)とか、脱退に対する想いが、雑誌や番組などで語られた。特にMyojoの1万字企画はすごく突っ込んだところまで話してくれていたような気がする。脱退の話を聞いたのは夏頃とか、半年間説得したとか、そういう細かい話まで書かれていた。

だからといって、納得できたわけではない。だって既に10周年に向けて走り出している4人を、田口を、見ていたからだ。

赤西が辞めるとき、聖が辞めるとき、どうしてこういう結果になったのか、脱退や解雇が決まるまでにどういう経緯があったのか、全て説明されることはなかった。テレビ、ラジオ、公式ブログ、新聞、週刊誌など、様々な場で本人やメンバーがコメントを出したが、どれも表面上の理由で、すっきりしない気持ちのまま時は流れていった。今回の約4ヶ月の猶予は、まるでその時の罪を贖うかのようだった。

初めてメンバーの脱退を経験したのは今から8年前だった。

 

2010年

この年は赤西の初主演映画「BANDAGE」に始まり、それに先駆け、主題歌のシングルやアルバムも発売された。オリコンチャート1位を記録し、好調なスタートだった。にも関わらず、ファンの間には不穏な空気が漂っていた。これが1月頃の話である。


ちょっと変な感じになり始めたのはちょうどその前の年ーー2009年の後半頃からだったと思う。アンコールに出てこない事件(調べてもらえば詳細が出てくると思います)に始まり、番組に出ているときの態度が悪いとか、髪型が変とか、サングラス外せとか、KAT-TUNについてこんなマイナスな発言をしていただとか…。KAT-TUNのことが好きで集まっているはずのコミュニティでも、そんな風に赤西が叩かれているところをよく見るようになった。それにつれ、週刊誌にだんだん黒い話題が増えていった。「火のないところにも煙は立つ」「俺が発信するものを信じて」彼はそんなメッセージを歌詞に込めて、私たちに伝え続けたが、はたしてその声はファンの耳に届いていたのだろうか。


同じ頃、ジャニーズwebに「亀ちゃん大丈夫だよ。何年後どうなってるかわからないけど、お互い頑張ろうね。乗り越えて乗り越えて頑張って頑張って何年後かにまた笑ってしゃぶしゃぶ食おうね」なんていう意味深な聖からのメッセージ。来年のKAT-TUNの活動についての話し合いをしたとあった。そういえば前回のブログに書いた、聖から赤西に宛てた「お前がこの先この世界でやっていくかは分からないけど、いつか俺らのスタイルが受け入れられるといいな(意訳)」(同ブログ記事「聖のこと」参照)という英語のメッセージにも、何か深い意味が含まれていたのかもしれない。

2月には、日生劇場でソロライブ「Star Live 友&仁(You&Jin)」を公演。オーラスでは、「またすぐに会いましょう」と次の活動を示唆するような発言をしていた。


3月には、2007年から続いていた、KAT-TUN冠番組カートゥンKAT-TUN」が最終回を迎えた。KAT-TUN出演のCMも、立て続けに終了。なんとなく感じていた不穏な空気が、「え? これヤバイんじゃない?」とだんだん現実味を増してきた。掲示板などでもザワザワし始める。誰のせいだとか、誰が悪いとか、メンバーへの叩きは加速。


そしてその月の25日には、KAT-TUNライブツアーが発表される。しかし、赤西はアメリカでソロコンサートを行うため、不参加であることが分かる。KAT-TUNライブツアーの日程が先に決定していたが、そののち赤西のソロコンを見たUTBからのオファーがあり、社長とメンバー6人で話し合った結果、メンバーの「チャンスを逃すな」「機会があるなら逃すことはない、その間5人で頑張るので赤西も頑張れ」という後押しと、赤西本人の「やってみたい」という希望もあって、ソロコンを優先させることが決まった。とのことだった。なぜこの時期なのかということについては、「6月はアニメフェスタなどもあり、全米からプロモーターが一番集まる時期であるからと、招聘先から強く勧められ、苦渋の決断をした」とされている。少なくとも10月までアメリカで活動を行うとされ、しばらくは「2way」での活動になることが報じられた。「脱退か? 解散か?」と騒ぎたてるマスコミに対し、事務所側は、「脱退や解散はない。2010年もKAT-TUNでやっていく。グループや他のメンバーがアメリカに進出する先駆けとなってくれれば」と、強く否定した。公式ブログ「ジャニーズweb」では、各メンバーもエールを送った。アメリカ進出する赤西に対して田口は「嬉しい。同じグループのメンバーとして誇りに思う。たまには連絡して」と述べた。こういった事の運びを知らず、彼のことを“メンバーを裏切って、自分のやりたいことを貫き通した人”と誤解していた人は少なくないのではないか?そうなってしまったのには、この後の流れに大きな原因がある。


それから2日後、「Going!Sports&News」にて、番組イメージソング「Going!」が流れる。ジャニーズ事務所、こういう時だけ仕事が早い。


そして4月5日、KAT-TUNの新曲「Going!」が5月12日に発売となることが発表。ファンの問い合わせにより、赤西の声は入っていないということが明らかになる。


4月16日、ジャニーズnetに、KAT-TUNの動画が更新される。6人別撮りだが、お互いにコンサート、新曲を宣伝。赤西は自身のソロコンの宣伝をしたのち、「その間、KAT-TUNもコンサートを日本でやっているので皆さん応援に行ってあげてください。成長して帰ってこようかなと思ってますんで、みなさんまた応援してください。よろしくお願いします。」と5人にもエールを送った。


4月28日、KAT-TUN公開リハ。赤西の話題はなし。「THE D-MOTION」は赤西の作詞部分のみ変更。


5月1日、通常通り、赤西マニュアル更新。KAT-TUNのコンサートについても触れる。雑誌「POTATO」でも、「単独でアメリカにいくことでいろいろ心配してくれたファンも多いみたいなんだけど、あまり不安にならないで。今まで通り、噂とかじゃなく俺から発信される言葉を信じて応援してくれたらうれしいです!」「同じ時期にKAT-TUNは5人で全国ツアーをやります。今回はたまたまスケジュールの関係で別々の活動になってしまうけど、お互いに、自分の目の前の仕事を全力で頑張ります!それによって、この先俺らにとっていい未来が待ってると思います。」と同じようなコメント。


5月10日、赤西出国。報道陣から「KAT-TUNに戻るのか」と聞かれると、「先のことは分かりません」とコメント。一方で、「KAT-TUNを辞めるのか」と聞かれると、辞めるつもりはないです。今後も応援してください。」と返した。

 

5月11日、KAT-TUNがミュージックアワーに出演。中居くんに「また赤西がいない」「5人でやるの?」とイジられるも、亀梨が「今日は」と、中丸もすかさず「今回は」と返した。


そして、5人でのシングル「Going!」が5月12日に発売。後からファンになった人はよく誤解しがちだか、この時まだ彼らは"6人のKAT-TUN"だった。


さらに5月17日、KAT-TUNのニューアルバム「NO MORE PAIИ」が6月16日に発売されることが決定。


それから1ヶ月後の6月19日・20日に赤西がロサンゼルスでソロライブを行い、見事成功。ライブ後の会見で、9・10月に全米ツアーを行うことを発表。全7か所を回ることが明らかになった。また、通常通りマニュアルも更新された。


7月3日、「KAT-TUNスタイル」にて、翌日誕生日の赤西に向けて田口が「赤西くんおめでとう」と一言。これはとても嬉しかった。


そして来たる7月16日、KAT-TUNが東京ドーム公演を行う。公演前、囲み会見が行われたが、放送されたのは翌日の朝。これをよく覚えていてほしい。
ちなみにわたし、この公演に入っていた。PV映像の赤西の映像は全てカット、MCでも赤西の名前が出ることはなかった。まるでなかった事にされているみたいな感覚で、とても不安な気持ちになる公演だった。5人は何も悪くないし、とても頑張っていたのだけど、その違和感が拭えない感じが最後まで気になった。2013年のカウコンを、2016年の10ksを思い出す。きっと彼らはあの時も、自分たちの口からちゃんと伝えたかったんだろうな。


そんなコンサートから帰宅、眠れずに迎えた17日深夜、赤西仁 脱退」が報じられる。田中、田口の時のような公式発表はなかったが、翌朝になるとWSやスポーツ紙で大きく取り上げられ、世間的には脱退という形になった。


スポーツ紙の報道では、次のように書かれていた。(以下、引用)


「赤西を“独り立ち”させる-。米国での成功を夢見て単身修業中の若武者に対し、喜多川社長がついに断を下した。
喜多川社長は、『今は米国で成功させることしか考えていない。KAT-TUNを引きずっていてはファンにも申し訳ない』と語り、今秋の全米公演を見極めた上で、正式に脱退させる意向を示した。
続けて、『米国で失敗したらKAT-TUNに帰っておいでなんて甘いことを言ってはダメ。“かわいい子には旅をさせよ”ではないが、好きな道を思い切りやらさせるしかない』と述べた。退路を断ち夢に向かわせる親心だ。
赤西には、2006年10月に語学留学のためグループを離れてロスへ渡り、2007年4月にKAT-TUNに戻った過去がある。喜多川社長は『赤西が戻りたいと言っても、これで2回目。同じようなことはメンバーも世間(ファン)も許さないだろう』と、ファン感情も考慮の上で決断したようだ。
『いつまで赤西がKAT-TUNでいるか、どこかでけじめをつけなきゃいけない。秋の全米ツアーが終わったら、かな』と、赤西が今年9・10月に全米72所で行うソロ公演終了を区切りに、グループを正式に離れることを明かした。
KAT-TUNの“KA”は亀梨の“か”。プロフィールなどから赤西も徐々に外していく』と、秋を待たずに段階的に脱退は始まるもようだ。」


この時ばかりは、ヒロム(ジャニーさん)を恨んだ。『メンバーも世間(ファン)も許さない』とは?許さないと、いつ、誰が言ったのか?赤西へのマイナス感情が募るファンのアンチ発言、赤西のファンを追い出そうとするファンコミュニティの雰囲気がこんな結末を招いたのか?報道を見て、ファンの無力さ、事務所の独断に、やり切れない気持ちになった。

 

さらに、メンバーのコメントとして、次のようなコメントが連日報道された。(以下、引用)


「亀梨は『今、日本にいるんですか?連絡は取っていない。でも、赤西の公演が無事成功したと聞いているし、今見てもらえる状況がすべて。俺たちも頑張らないと。応援したい。やりたいことがあるというのに無理してKAT-TUNを、というわけにもいかないし、止めることはできない』と話すにとどめた。5人のグループについては『2度目なのでダメージは薄いですよ』と冷静。田中は『噂が先行してるけど、解散とかはまずないので安心して。KAT-TUNを大きくするのが使命だし、夢でもあるので』と、5人での再出発に力を込めた。」(原文ママ)


ここで、なぜメンバーのコメントが、あたかも脱退に対してのコメントのように使われたのか。これは、16日の公演前の囲み会見で、2wayについてメンバーが答えたコメントだ。

この報道の仕方が一番問題だったと思う。メンバーがこう言っていると思わせることで、赤西アンチにも拍車をかけたし、このコメントを見て傷ついた赤西担、そして亀梨担、聖担も結構いるのではないだろうか。大事なメンバーが1人抜けるのに、自担に「ダメージは薄い」とか言われて喜ぶファンがいるのだろうか。

メンバーがこのコメントをした時、脱退報道はまだ出ていなかった。メンバーは「脱退」についてではなく、「2way」についてコメントしていると考え、もう一度報道を見返してみると良い。いやにメンバーが冷静なのもそのため。それをうまく切り貼りして、脱退報道後の会見のように報道してしまったことが、色々な誤解を生んでしまった気がする。情報操作だとか、陰謀論みたいであまり言いたくないけど、完全にメディアにしてやられた…と思っている。わたしは根に持っています。うらみ・ます。


そして、7月20日、赤西のマニュアルが更新され、脱退について触れた。メンバーが嫌いになって辞めるわけでもなく、迷惑をかけて申し訳ないと思っていること。感謝しているということ。日本でも活動していくということが語られた。


7月22日、ジャニー喜多川から赤西への言及が報道される。秋以降の最終判断を待たずにソロ活動について正式発表したことについては「なるべく早い方がいいと考えてのこと」と説明。


8月31日、KAT-TUN公式サイトのプロフィールから赤西の名前が消え、赤西単体の公式サイトが開設された。これで、赤西は完全にKAT-TUNを"脱退"したという形になった。

聖と田口の解雇については、以前書いた通りだけど、こうして赤西の脱退劇を見返してみると、KAT-TUNが6人でいることがどうして許されなかったのかとつい考えてしまう。彼らはずっと戦い続けていた。充電期間中も。彼らの敵とは何なのか? 誰なのか?

2018年の今、KAT-TUNも、赤西も、田口も、聖も、ステージの上に立ち続けていてくれるから、わたしたちはまだ夢を見れる。どの道も素敵だ。ようやく、この道も良かったと思えるようになった。この6人の道がどんなに分岐しようと、彼らのことはいつまでも信じているし、いつまでも好きでいられる。

 

***


ここまでの流れをずっと下書きに残していたんだけど、ROTを見てちょっと感傷的な気持ちになってしまったのと、ここ最近のJr.のあれこれを見て、やっぱりこれまだ時効じゃないのでは……? と思ったので、これを機にひっそり公開してみた。

来年こそは、この事務所に良い風が吹きますように〜。

2018.12.25